大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成2年(あ)946号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

第一  上告趣意に対する判断

弁護人塚本重頼、同横井大三、同依田敬一郎及び同西尾孝幸の上告趣意は、違憲をいう点を含め、その実質は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

弁護人依田敬一郎の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決は所論のような法律判断をしたものではないから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、その実質は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

弁護人西村國彦、同竹内康二、同安田修、同長尾節之及び同久保田理子の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決は所論の点については何ら法律判断を示していないから、所論は前提を欠き、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

第二  職権による判断

所論にかんがみ、被告人の過失の有無について検討する。

一  本件事案の概要

1  原判決及びその是認する第一審判決の認定する本件の事実関係は、次のとおりである。

(一) ホテル・ニュージャバン(以下「本件ホテル」という。)の建物は、いわゆるY字三差型の複雑な基本構造を有する鉄骨鉄筋コンクリート造り陸屋根、地下二階、地上一〇階、搭屋四階建の建物(述べ床面積約四万五八七六平方メートル)のうち、九階の藤山事務所及び一〇階の藤山勝彦邸を除く部分(以下「本件建物」という。)であり、本件火災当時の客室数は四階から一〇階までを中心に約四二〇室、宿泊定員は約七八二名であった。

(二) 被告人は、本件建物を所有して本件ホテルを経営していた株式会社ニュージャパン(以下「ニュージャパン」という。)の代表取締役社長として(昭和五四年五月二八日就任)、本件ホテルの経営、管理事務を統括する地位にあり、従業員らを指揮監督し、防火、消防関係を含む本件建物の改修、諸設備の設置及び維持管理並びに従業員の配置、組織及び管理等の業務についてもこれを統括掌理する権限及び職責を有していた者で、消防法上の防火対象物である本件建物に関する同法一七条一項の「関係者」及び同法八条一項の「管理について権原を有する者」でもあった。

また、支配人兼総務部長幡野政男(以下「幡野」という。)が、本件ホテルの業務全般にわたって、被告人及び副社長横井邦彦の下で従業員らの指揮監督に当たるとともに、消防法八条一項の防火管理者に選任されて、本件建物について同条項所定の防火管理業務に従事していた。

(三) 消防法一七条の二第二項四号、昭和四九年法律第六四号消防法の一部を改正する法律附則一項四号等の法令などにより、本件建物については、昭和五四年三月三一日までに地下二階電気室等を除くほぼ全館にスプリンクラー設備を設置すべきものとされ、一定の防火区画(以下「代替防火区画」という。)を設けることによってこれに代えることもできることとなっていた(以下、スプリンクラー設備又は代替防火区画の設置に必要な工事を「そ及工事」という。)が、本件火災当時、主として客室、貸事務所として利用されていた四階から一〇階までの部分については、スプリンクラー設備は設置されておらず、四階及び七階に代替防火区画が設けられていただけで、右各階を除き、客室及び廊下の壁面及び天井にはベニヤ板や可燃性のクロスが使用され、大半の客室出入口扉は木製であったほか、隣室との境が一部木製板等で仕切られ、客室、廊下、パイプシャフトスペース等の区画及び既設の防火区画には、ブロック積み不完全、配管部分の埋め戻し不完全等による大小多数の貫通孔があった。加えて、防火戸及び非常放送設備については、被告人が少額の支出に至るまで社長決裁を要求し、極端な支出削減方針を採っていたことなどから、専門業者による定期点検、整備、不良箇所の改修がされなかったため、防火戸は火災時に自動的に閉鎖しないものが多く、非常放送設備も故障等により一部使用不能の状態にあり、また、従業員の大幅な削減や配置転換を行ったにもかかわらず、これに即応した消防計画の変更、自衛消防隊の編成替えが行われず、被告人の社長就任後は、消防当局の再三の指摘により昭和五六年一〇月に形式的な訓練を行った以外は、消火、通報及び避難の訓練(以下「消防訓練」という。)も全く行われていなかった。

(四) 消防当局においては、ほぼ半年に一回立入検査を実施し、その都度、幡野らに対し、そ及工事未了、防火戸機能不良、パイプシャフトスペースや防火区画の配管貫通部周囲の埋め戻し不完全、感知器の感知障害、消防計画未修正、自衛消防隊編成の現状不適合、消防訓練の不十分ないし不実施、従業員への教育訓練不適等を指摘して、それらの改修、改善を求めていたほか、昭和五四年七月以降は、毎月のようにそ及工事の促進を指導していたが、被告人は、社長就任当時から本件建物についてそ及工事が完了していないことを認識していたほか、立入検査結果通知書の交付を含む消防当局の指導や幡野の報告等によって、右のように本件建物に防火用・消防用設備の不備その他の防火管理上の問題点が数多く存在することを十分に認識していたにもかかわらず、営利の追求を重視するあまり、防火管理には消極的な姿勢に終始し、資金的にもその実施が十分可能であったそ及工事を行わなかった上、前記のような防火管理体制の不備を放置していた。

(五) このような状態の中で、昭和五七年二月八日午前三時一六、七分ころ、九階九三八号室の宿泊客のたばこの不始末により同室ベッドから出火し、駆けつけた当直従業員が消火器を噴射したことによりベッド表層ではいったん火災が消失したが、約一分後に再燃し、同室ドアが開放されていたため火勢が拡大して、同三時二四分ないし二六分ころには、同室及びその前面の廊下でフラッシュオーバー現象が起こり、以後、フラッシュオーバー現象を繰り返しながら、九、一〇階の大部分の範囲にわたり、廊下、天井裏、客室壁面及びパイプシャフトスペースのすき間等を通じて、火煙が急速に伝走して延焼が拡大した。右出火は当直従業員らによって早期に発見されたが、当直従業員らは、自衛消防組織として編成されておらず、加えて、消防訓練等が不十分で、責任者も含めて火災発生時の心構えや対応措置をほとんど身につけていなかったため、組織的な対応ができなかった上、各個人の対応としても、初期消火活動や出火階、直上階での火事触れ、避難誘導等をほとんど行うことができず、非常ベルの鳴動操作、防火戸の閉鎖に思いつく者もなく、一一九番通報も大幅に遅れるなど、本件火災の拡大防止、被災者の救出のための効果的な行動を取ることができなかった。そのため、就寝中などの理由で逃げ遅れた九、一〇階を中心とする宿泊客らは、激しい火炎や多量の煙を浴び若しくは吸引し、又は窓等から階下へ転落し若しくは飛び降りるなどのやむなきに至り、その結果、うち三二名が火傷、一酸化炭素中毒、頭蓋骨骨折等により死亡し、二四名が全治約三日間ないし全治不明の火傷、気道熱傷、骨折等の傷害を負った。

2(一)  原判決及びその是認する第一審判決は、更に、本件結果回避の蓋然性について次のとおり判示する。

本件建物にスプリンクラー設備が消防法令上の基準に従って設置されていれば、九三八号室で出火した炎が同室天井に沿って伝ぱし始めたころには、スプリンクラーが作動してその火を鎮圧し、特段の事情がない限り同室以外の区域に火災が拡大することはなかったものと認められる。また、代替防火区画が設置されていた場合には、九、一〇階客室は、一〇〇平方メートル以内ごとに耐火構造の壁、床又は防火戸で区画されて、出火室を含む三室程度が耐火構造で囲まれ、廊下との区画やパイプシャフトスペース、配管引込み部等の埋め戻しも完全にされるとともに、各室出入口扉は自動閉鎖式甲種防火戸(ドアチェック付鉄扉等)とされることとなり、廊下は、四〇〇平方メートル以内ごとに同様の耐火構造の壁等で区画されるとともに、その内装には難燃措置が施され、区画部分には煙感知器連動式甲種防火戸が設置されることとなるので、九三八号室の火が、廊下を通じて、同室と同一防火区画を形成することになると認められる九四〇号室及び九四二号室に延焼する事態は起こり得ず、廊下を通じないで右両室に早期に延焼する蓋然性も低く、右両室に延焼した後もその火は当該防火区画内に閉じ込められ、本件において発生したような累次のフラッシュオーバー現象も生じないから、これらに基づくパイプシャフトスペースを通じての火炎の伝走による他階への延焼はなかったし、避難を全く困難にするような濃度の煙が廊下に流出することもなかったと認められるほか、窓からの火炎の吹き上げによる一〇階への延焼には相当時間を要し、一〇階に延焼した場合においても同階の代替防火区画が効果を発揮したと考えられる。そして、右スプリンクラー設備又は代替防火区画の設置に加えて、防火用・消防用設備等の点検、維持管理が適切に行われ、消防計画が作成され、これが従業員らに周知徹底されるとともに、右消防計画に基づく消防訓練が十分に行われていれば、従業員らによる適切な初期消火活動や宿泊客らに対する通報、避難誘導等の措置が容易となり、本件死傷の結果の発生を避けることができた蓋然性が高い。

(二)  右判示は、その推論の前提及び過程に不自然、不合理な点はなく、これを是認することができる。

二  被告人の過失の有無

そこで検討するに、被告人は、代表取締役社長として、本件ホテルの経営、管理事務を統括する地位にあり、その実質的権限を有していたのであるから、多数人を収容する本件建物の火災の発生を防止し、火災による被害を軽減するための防火管理上の注意義務を負っていたものであることは明らかであり、ニュージャパンにおいては、消防法八条一項の防火管理者であり、支配人兼総務部長の職にあった幡野に同条項所定の防火管理業務を行わせることとしていたから、同人の権限に属さない措置については被告人自らこれを行うとともに、右防火管理業務については幡野において適切にこれを遂行するよう同人を指揮監督すべき立場にあったというべきである。そして、昼夜を問わず不特定多数の人に宿泊等の利便を提供するホテルにおいては火災発生の危険を常にはらんでいる上、被告人は、昭和五四年五月代表取締役社長に就任した当時から本件建物の九、一〇階等にはスプリンクラー設備も代替防火区画も設置されていないことを認識しており、また、本件火災の相当以前から、既存の防火区画が不完全である上、防火管理者である幡野が行うべき消防計画の作成、これに基づく消防訓練、防火用・消防用設備等の点検、維持管理その他の防火防災対策も不備であることを認識していたのであるから、自ら又は幡野を指揮してこれらの防火管理体制の不備を解消しない限り、いったん火災が起これば、発見の遅れや従業員らによる初期消火の失敗等により本格的な火災に発展し、従業員らにおいて適切な通報や避難誘導を行うことができないまま、建物の構造、避難経路等に不案内の宿泊客らに死傷の危険の及ぶおそれがあることを容易に予見できたことが明らかである。したがって、被告人は、本件ホテル内から出火した場合、早期にこれを消火し、又は火災の拡大を防止するとともに宿泊客らに対する適切な通報、避難誘導等を行うことにより、宿泊客らの死傷の結果を回避するため、消防法令上の基準に従って本件建物の九階及び一〇階にスプリンクラー設備又は代替防火区画を設置するとともに、防火管理者である幡野を指揮監督して、消防計画を作成させて、従業員らにこれを周知徹底させ、これに基づく消防訓練及び防火用・消防用設備等の点検、維持管理等を行わせるなどして、あらかじめ防火管理体制を確立しておくべき義務を負っていたというべきである。そして、被告人がこれらの措置を採ることを困難にさせる事情はなかったのであるから、被告人において右義務を怠らなければ、これらの措置があいまって、本件火災による宿泊客らの死傷の結果を回避することができたということができる。

以上によれば、右義務を怠りこれらの措置を講じなかった被告人に、本件火災による宿泊客らの死傷の結果について過失があることは明らかであり、被告人に対し業務上過失致死傷罪の成立を認めた原判断は、正当である。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官中島敏次郎 裁判官藤島昭 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例